深江の国造

国造本紀がコシ地方の最後にかかげる高志深江国造はコシ地方最北の国造であったと思われる。一方、部民制がおよんだようすから蒲原、沼垂が当時のコシの北辺であったと思われる。高志深江はこの地方のどこかに拠点を持つ首長であったみてよいであろう。当時の蒲原、沼垂地方は、低湿地帯を貫流する信濃川と阿賀野川、ふたつの大河が合流する広大な河口、無数に点在する大小の潟、それらを結んで乱流する中小の河川など複雑に水陸が入りくんでいた。平城京から出土した八世紀の木簡に越後国沼足郡深江とある。この深江と高志深江国造の関係は不明であるが、深江の国という呼称は蒲原、沼垂地方の地勢によく合致している。また、日本書紀は崇峻二年に阿倍氏がコシ地方を巡見し、宍人氏が東方を巡見したと伝えられているが宍人氏は阿倍氏の同族である。この関係は、阿倍氏の祖である大毘古命がコシ地方から進み、息子の建沼河別命が東方から進んで会津で出会ったとする古事記の伝承に類以している。実際、阿倍氏が管掌したと思われる丈部がコシ地方と会津の双方に分布しており、阿倍氏は、六世紀当時、たびたびコシを経由して会津にいたるルートを利用していたと思われる。

貴腐ワイン

貴腐ワインは、白ワイン用のブドウに菌が果皮に感染することによって非常に糖度が高まり、芳香を持つようになった最高級甘口ワインです。貴腐とは、腐敗したように見える干しブドウのようになった外見からは想像できないような芳香と風味を持ったワインが醸造されることからつけられた名前で、貴腐化したブドウを使って造られた甘口の最高級ワインを貴腐ワインと言います。