越辺の蝦夷

部民制や国造制を通じてヤマト政権の支配力が強く及ぶようになってからも、コシ地方の人々は独自に日本海の対岸や北方の人々と交流していた。日本書紀の欽明五年十二月条にはコシからの報告として佐渡島にやってきたみしはせの行動を伝えている。みせはせの実態は不明であるが、一般に沿海州付近の人々であってと伝えられている。また日本書紀は六世紀の後半に高句麗の使者がたびたびコシの海岸に到来したことを伝えている。そのうち、欽明三十一年に高句麗の使者が漂着した際、加賀地方の国造であったと思われる道君氏は、高句麗の使者からいったん受納した貢ぎ物を、ヤマト政権が派遣したかしわで氏によって返還されている。この出来事は、元来、コシ地方の首長が独自におこなっていた外来人との接触をしだいにヤマト政権が接収していったことを示している。こうしたヤマト政権の姿勢は、やがてコシの北辺にも向けられるようになった。ところが日本書紀、皇極元年に越の辺の蝦夷数名が内附したと伝えられている。コシ地方の蝦夷がヤマト政権に帰順したことを示す最初の記録である。

貴腐ワイン

貴腐ワインは、白ワイン用のブドウに菌が果皮に感染することによって非常に糖度が高まり、芳香を持つようになった最高級甘口ワインです。貴腐とは、腐敗したように見える干しブドウのようになった外見からは想像できないような芳香と風味を持ったワインが醸造されることからつけられた名前で、貴腐化したブドウを使って造られた甘口の最高級ワインを貴腐ワインと言います。