大伴稲積

ぬたり柵の設置から約10年後にぬたり柵造の大伴稲積が小乙下という位を与えられた。柵造というには柵の管理者、小乙下は十九階あった当時の位階の中で下から二番目の位である。このころ、越国守の阿倍引田臣比羅夫は船団を率いてたびたび日本海を北上し、東北地方や北海道におもむいている。大伴稲積に対する授位は、それにともなう論功行賞のひとつである。稲積の功績が比羅夫と行動をともにしたことによるものなのか、ぬたり柵が中継基地として大きな役割をはたしたことによるものなのか不明である。しかし、ぬたり柵が重要な拠点になっていたことは間違いなく、稲積の授位のかげには、蒲原地方や沼垂地方の人々えの多大な負担があつたと思われる。阿倍氏は六世紀頃から吉士と呼ばれる航海技術者団を掌握していたが、比羅夫は北方活動に際して、さらに能登臣馬身龍など越国の豪族を配下に編成していた。大伴稲積も、地方豪族によくみられる君というカバネをもっていることから、元来、地方豪族であったと思われている。

貴腐ワイン

貴腐ワインは、白ワイン用のブドウに菌が果皮に感染することによって非常に糖度が高まり、芳香を持つようになった最高級甘口ワインです。貴腐とは、腐敗したように見える干しブドウのようになった外見からは想像できないような芳香と風味を持ったワインが醸造されることからつけられた名前で、貴腐化したブドウを使って造られた甘口の最高級ワインを貴腐ワインと言います。