越後領域

大宝元年に大宝令が施行されると、評は郡と表記されるようになった。その直後に越中国の四郡が越後に移管された。その四郡は頸城郡、古志郡、魚沼郡、蒲原郡であることが明らかになっている。この四郡の移管によってそれまで沼垂郡と磐舟郡しかなかった越後国は一挙に六郡となりった。こうして越後国は佐渡を除く現在の新潟県に近い領域をもつことなった。律令政府は、その一ヶ月後に筑紫の七ヶ国と越後国はうねめと兵衛を貢進せよ。陸奥国は貢進しなくてよいという指令を出した。越後国は筑紫の七ヶ国や睦奥国とともに、当初、貢進が免除されていたらしく、指令はそのうちに越後国と筑紫の七ヶ国にあらためて、うねめと兵衛を貢進させることにしたものである。四郡の移管によって越後国が通常の国としての力量と体裁を備えたことを示すものであろう。その後に越後国の申請によって現在の山形県内に出羽郡が建てられ、越後国は七郡となった。のちに出羽国が設置されると越後国はふたたび六郡となり、北の境が確定した。

貴腐ワイン

貴腐ワインは、白ワイン用のブドウに菌が果皮に感染することによって非常に糖度が高まり、芳香を持つようになった最高級甘口ワインです。貴腐とは、腐敗したように見える干しブドウのようになった外見からは想像できないような芳香と風味を持ったワインが醸造されることからつけられた名前で、貴腐化したブドウを使って造られた甘口の最高級ワインを貴腐ワインと言います。