越後国の守

北陸道の最北に位置する越後国は、蝦夷政策の最前線基地としての性格を持っていた。そのため、越後国の守は出羽国や陸奥国の守とともに、守としての通常の任務のほか、蝦夷に対する饗給や討伐やせっこうが課せられていた。実際に八世紀始めの越後国は蝦夷と境を接する北の辺境とされ、慶雲二年に越後城司に任命された大村には蝦夷に対する饗給と討伐が期待されていた。こうした城柵の整備や蝦夷に対する饗給が行われるたびに、越後国の人々には多くの負担が強いられた思われる。また、越後国の人々は、和銅二年に蝦夷盗伐征伐への征伐軍や軍船の供出を求められ、その後も、平安時代の初期まで、たびたび、東北地方の各地に柵戸として送り込まれたり、兵器や食料の提供や運搬を命じられている。出羽国が建置された以降、越後国は、もはや日本海側の最北の地ではなくなっていたが、蝦夷政策のために負担が長くつづいたのである。

貴腐ワイン

貴腐ワインは、白ワイン用のブドウに菌が果皮に感染することによって非常に糖度が高まり、芳香を持つようになった最高級甘口ワインです。貴腐とは、腐敗したように見える干しブドウのようになった外見からは想像できないような芳香と風味を持ったワインが醸造されることからつけられた名前で、貴腐化したブドウを使って造られた甘口の最高級ワインを貴腐ワインと言います。