村と住まい

越後平野の地域では、奈良時代になると、それまであまり確認できなかった集落がいくつか成立した。この時代は通常稲作が主たる産業でありそれに立脚した村は多い。広大な湿地地帯にあって戦後まで腰や胸までつかるような泥田が広がっており水田を営むには適していなかった土地柄であった。奈良時代の村跡としては、山三賀遺跡が代表的である。この村は八世紀前半にできて、九世紀後半に滅び、その間に100軒以上の住居が営まれていたことが分かっている。歴史的に見ると、規模が大きく比較的長期間にわたり営まれていた村であるが、このような村はこの時代の東日本の各地でみられる。住まいの多くは竪穴住居である。地面を掘り込んで土間とする、縄文時代以来の伝統的な住居形式である。平安時代の九世紀以降になると、少しずつ堀立柱建物と呼ばれる平地式の新しい形式の住居が建てられるようになり、10世紀以降になると竪穴住居はほとんどみられなくなる。越後の平野部では、このころが竪穴住居で生活していた最後の時代となる。

貴腐ワイン

貴腐ワインは、白ワイン用のブドウに菌が果皮に感染することによって非常に糖度が高まり、芳香を持つようになった最高級甘口ワインです。貴腐とは、腐敗したように見える干しブドウのようになった外見からは想像できないような芳香と風味を持ったワインが醸造されることからつけられた名前で、貴腐化したブドウを使って造られた甘口の最高級ワインを貴腐ワインと言います。